北京五輪開催間近。日本からはフェンシングの太田選手、水泳の北島選手などメダル有力選手が多数参加するが、やはり気になるのは日本発の競技種目柔道。1964年に東京五輪で正式種目として採用されてから、日本が獲得した金メダルは31個でダントツの1位。そして日本を追いかける2位には金メダル10個のフランス。1996年、2000年と男子柔道最重量級2連覇を成し遂げたフランスの英雄ドゥイエ氏に突撃インタビュー。
(フランス ニュースダイジェスト編集部 柳澤創)
フランス柔道の歴史を教えてください。
フランス柔道の歴史は、日本の柔道家川石酒造之助(かわいしみのすけ)氏によって1936年に広められました。川石氏は、1920年代頃から日本国外へ柔道を広めようと、各地を渡り歩きます。1935年に渡仏し、1936年にフランスで初めての道場となる日仏クラブ(Club Franco-Japonais)を設立したのです。彼は柔道をフランス人にも分かりやすく伝授するため独自のメソッドを考案しました。黒帯前(初段前)の生徒のスキル状態を分かりやすくするための色付帯も彼のアイディアによるものです。そして第二次世界大戦後の1946年にフランス柔道連盟(FFJ)が誕生し、現在に至ります。
北京五輪の柔道フランス代表選考会の日に取材に応じてくれた、ドゥイエ氏。6月5日、フランス柔道連盟会議室前。 (ニュースダイジェスト編集部 柳澤創) |
フランスで柔道がポピュラーになったのはいつ頃ですか?
フランスで柔道に人気が出てきたのは、やはり柔道が正式種目として採用された東京五輪からですね。スポーツの祭典に登場したことで、柔道の知名度がぐっと広まったと言えます。しかし、柔道ブームに火がついたのは、フランス人が初めて金メダルを取った1980年のモスクワ五輪です。この年、フランスは男子最軽量の60kg級でティエリー・レイ、最重量級の+95kg級でアンジェロ・パリジが共に金メダルを獲得し、78kg級で銅メダル、無差別級で銀メダルの快挙を達成しました。90年代に入ると、女子柔道も活気づき1992年のバルセロナ五輪では女子48kg、61kg級でフランス人選手が金メダルを獲得しています。
現在フランスで柔道は3番目*に人気のあるスポーツですが、柔道のどのような部分にフランス人は引かれるのでしょうか?
柔道は個人種目のスポーツですが、相手がいなくては練習が出来ません。そんなことから、教育機関では、主に小学校で柔道が授業の一環として取り上げられることがあります。子供たちは、柔道の練習を通じて自然とコミュニケーションや相手への思いやりなどを学ぶことが出来るのです。それから受け身ですね。柔道の受け身をしっかりと身につければ、けがを未然に防げます。他にも礼儀作法や精神鍛錬など、さまざまなことを学ぶことが出来る素晴らし いスポーツです。
1位サッカー、2位テニス、4位乗馬、5位バスケットボール(フランスの各スポーツ連盟加入者数に基づく)。フランスの柔道人口は、日本のおよそ2.5倍の50万人で世界一。
柔道を通じて日本を知り、その後どのような変化がありましたか?
私が始めて日本に訪れたのは今からおよそ25年前。15歳で柔道を初めて間もない頃でした。強化合宿での来日だったのですが、見るもの全てが珍しく新鮮で、特に道路の狭さや天井の低さが印象に残ってます。私もまだ若く、当初は日本や日本人を外見のみで判断し、色々と間違った先入観を持って見ていました。しかし、練習で何度か日本へ訪れるうちに、人を観察するということを学んだのです。注意深く観察していると、日本人の仕草や習慣全てに一連の理由があることが見えてくるのです。すると、今まで奇妙キテレツに写っていた「ニッポン」が理解出来るようになり、自分の中に深く刻み込まれました。そして、この観察眼こそが私の柔道を大きく変えたのです。それまでは自分勝手に技を組み立ていましたが、相手の動きやクセをよく観察することで、どんなに苦戦していても勝機を見つけられるようになったのです。もちろん、柔道の本場で練習することで技にも磨きが掛かりました。
1996年、アトランタ五輪。柔道男子+95kg級、ドゥイエ選手(フランス)対ファン=バーネベルド選手(ベルギー)。1996年7 月20日撮影 |
日本とフランスの柔道の違いはどんなところにありますか?
フランスの柔道は嘉納治五郎師範の教えを引き継いでいます。唯一違う部分を挙げるとすれば、技術の差と体格差でしょうか。柔道が五輪正式種目となった当時は、技術の差で日本人が柔道のメダルを独占していました。しかし、フランスで柔道が盛んになり技術レベルが向上してくると、フランス人柔道家も日本人と互角に対戦出来るようになりました。そういった意味で、80〜90年代は日本人よりも体格の大きな選手が欧米で選手に選ばれ、日本人は苦戦を強いられました。しかし、近年は日本人にも欧米人にひけを取らないぐらい体格の良い選手が登場し、日本は再び柔道先進国の座を取り戻しつつあると言えます。
フランス以外で柔道の盛んな国はどこですか?
いまや柔道は最も有名な日本語なので、フランスだけでなく世界中で最もポピュラーなスポーツです。ヨーロッパでは、イタリア、ドイツ、スペインがフランスに負けないぐらい盛んな国で、強い選手もたくさんいます。東ヨーロッパでも、柔道はポピュラーになりつつありますが、彼らはどちらかというとレスリングに近いスタイルで柔道の試合に挑んでいます。柔道が多くの国で親しまれるのはうれしいことですが、出来ることなら、柔道の神髄を忠実に伝導して欲しいです。
今年、日本で嘉納治五郎師範が研究開発した柔道専用の柔道畳が復元されました。従来のビニール仕様とは異なる100%天然素材の柔道畳についてどう思いますか?
非常に興味深いです。私が柔道を始めた頃は既に現在のようなビニール素材の畳を使用しており、私の知る限りフランスの柔道クラブは全てビニール仕様です。しかし、環境破壊が進む現在、どのように持続可能な開発を進めていくかということに国民の関心が集まっており、100%オーガニックの柔道畳は大きな意味を持っていると思います。さらに、柔道の父、嘉納治五郎師範の研究の成果といわれれば、柔道家として非常に興味があります。しかし、もしその畳が量産可能なタイプでも、実際にフランスで採用するのかということになると、実物を見てみないことには何とも言えません。まずは畳の安全規格です。その畳が本当に柔道に適しているかどうかは、実際に使ってみないことには判断出来ません。次に衛生面です。フランス柔道連盟の規約には、衛生面でも重要な項目があり、現在使用しているビニールマットも月に何度か消毒殺菌するようになっています。そして最後はやはり値段です。どんなに優れた素材であっても購入やメンテナンスにお金が掛かる場合は致命的です。ですが、嘉納治五郎師範が考案した柔道畳ですので貴重な資料になります。何らかの記念式典で限定的に使用したりすることも考えられます。この柔道畳を通じて、日本とフランスの友好を深められれば素晴らしいです。
エコロジー畳職人のチャレンジ
126年ぶりに蘇る柔道畳復元プロジェクト
柔道畳復元プロジェクト協力者畳関係・職人集合写真柔道は今から126年前に嘉納治五郎師範が講道館において創始した武道だ。現在では、道場や試合会場でもビニール製のマットが主流だが、柔道が誕生した当時は天然素材100%の畳が使われていた。講道館に残された嘉納治五郎師範と共に研究開発した職人の残した資料によれば、師範は理想の柔道を追い求め畳の研究も行い、柔道専用の柔道畳を完成させたという。そんな伝統ある柔道畳を復元しようと立ち上がったのが、神奈川県で畳店を営む2代目畳職人の植田昇さんだ。出来るだけ忠実に当時の畳を復元するために、彼は、7年前から独自の調査を開始した。使用される素材も、昔ながらの方法で一からオーガニックの栽培をしている。そして、今回植田氏によって復元された柔道畳は3種類。@柔道誕生時、講道館で使用されていたとされる柔道畳。A嘉納治五郎師範が進化させた柔道畳。B東京五輪で使用された柔道畳。一般的に畳というと、畳表(たたみおもて)にイグサという草が使われるが、柔道で使われる畳にはカヤツリグサ科七島イという特殊な草を織ったござが使われている。
柔道畳千人針当初は植田氏1人でスタートしたプロジェクトだったが、終わってみれば実に300人以上の協力を得る大プロジェクトとなった。今回の畳復元をするにあたり、既に失われてしまった資料も多いが、80歳を超える高齢の職人たちの協力があり、126年前の柔道畳が奇跡的に再現出来たという。植田氏は、1890年に嘉納治五郎師範によって初めて柔道が紹介され、現在では柔道人口世界一のフランスへ、友好の意を込め柔道畳の寄贈を考えているという。126年の歴史を経て、再び日仏が柔道の絆で結ばれる事を願う。