Q 畳表とはなんですか? |
A 畳表面の全面を覆っている部分をいいます。人が畳を歩くと接する部分です。(へり付きの場合は除く) |
Q 柔道畳の復元はどのようなものを復元していますか? |
- 3つの柔道畳を復元しています。
1、明治15年1882年栄昌寺に敷かれていた嘉納治五郎師範 柔道創設の手床の畳0000000000000000 000(愛称名 柔道創設時代の畳)
2、講道館富士見町時代 明治20年1887年〜嘉納治五郎師範と畳職人が研究に研究を重ねた進化した 0000柔道畳 (愛称名 姿三四郎畳)
3、昭和39年1964年東京オリンピック柔道競技場となった日本武道館に設置されていた畳
(愛称名 東京オリンピックの畳)
畳表の素材は現在のビニールやポリエステルではなく、復元する3つの畳はカヤツリグサ科七島イ
(青表=琉球畳表)という大分産の畳表です。 |
Q 昔の柔道畳はオーガニックだったのは本当ですか? |
- 昔にオーガニックの概念はないのですが、1、2の畳表の時代には農薬や除草剤などを散布せずに自然的な形で栽培されていました。東京オリンピックの時代は栽培方法の確立し農薬が復旧されていた時代ですので農薬散布されているものでした。ですが、今回の1,2,3それぞれの柔道畳表の原材料であるカヤツリグサ科七島イは農薬や除草剤を一切散布せずに自然農法によって栽培したものになります。
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Q 3つの畳を復元するにあたって畳表は同じものを3つ製作するのですか? |
- 3つとも違います。それぞれ年代も違い、嘉納治五郎師範の研究や時代背景によっても違いがあることがわかりました。
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Q 3つの畳表がちがうというのは、柔道の技にも影響してくるのでしょうか? |
- それはこれから多くの柔道家の先生方に検証していただければと思います。3つの畳は畳床(芯材)など縫い方や素材の配置なども大きく違うことや畳表の違いも合わさっています。一般的に復旧していたの琉球畳表と伝統柔道畳表も違いがあったことも忘れ去られてしまいました。 触って、踏んで一般の人でもわかるのか?それとも柔道の達人といわれる方々ならわかるのか?現段階はわかりません。出来上がってからが楽しみです。現在のビニール畳と普通の畳の違いは畳好きの人ならわかると思いますが、明治、大正時代の伝統柔道畳のクッション性は、昭和に入って機械が導入されていた時とかなりの違いがありクッション性も高かったことでしょう。昔の柔道家と現在の柔道家では足や足首、足の裏の使いが違うとすることに関係する部分なのかもしれません。
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Q 伝統柔道畳表を復元していますが、いつ出来上がりますか? |
- 2008年1月29日に畳糸の復元が終わりましたので、2008月2月〜3月くらいに柔道畳表織り終わる予定です。3つの畳はそれぞれ違い調査段階の資料から実際の部分も検証しながら行っています。ちなみに3つすべての伝統柔道畳が復元が終わるのは2008年3月〜5月頃に終了する予定です。
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Q 伝統柔道畳の琉球表を作っていて大変なところはどこですか? |
- 当時、使われていた畳表の原材料や製造されていた地域はどこなのか?などどのように作られていたのかなど調べるのは実際に沖縄県や大分県、熊本県、静岡県など訪れ関係者のみなさんと話しをしていくしかわからなかったことが沢山ありました。また、栽培についても通常70畳分収穫される琉球イ・七島イ(三角イ)の畑でも2005年収穫されたのが7畳分の材料の収穫にとなり、翌年2006年は全滅し、2007年は6畳分しか採れませんでしたが、栄昌寺の12畳からはじまった柔道ですので、この12畳分は確保しました。ですが今回3つの畳を復元することになりましたので2008年も専用の畑による栽培を行うことにしました。昔のように農薬や除草剤を散布しないことは大変ですね。当時、明治時代の畳表の製造方法など収穫された七島イは天日干しでしたので、それに則って作業を行おうとしたら昔あった海辺の砂浜など開発されなくなってたり大慌てで探し回ったりしました。生産農家さんと一つ一つのことが出来そうで難しいことに気がつき何度と断念しそうになりました。縦糸を復元するのも3年は掛かりましたので、とても、時間の掛かるものでした。私自身大分県の畑に草取りへ行くのですが3日間で100匹以上虫に刺されたり、蛇が出てきて驚いたりいろんなことがありました。(笑)また、縦糸も伝統柔道畳に使えるものがなく多くの時間がかかりましたがこれも伝統柔道畳秘伝になることなのでしょう。この糸を使って作られた畳床は一般住宅において100年近く使われて現在も使用できるほどの耐久性がある畳がありました。現代の化学が進んだ技術でも同じスペックを保たせるには非常に難しいものがあり先人の知恵は改めて素晴らしいと再認識させて頂きました。
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Q 東京オリンピックの畳は現在のビニール畳マットではないのですか? |
- 違います。当時、東京オリンピックの柔道の会場は日本武道館です。いろいろ調べていくうちに会場に柔道畳を納めた畳業者さんに出会い調べることが出来ました。大分県産のカヤツリグサ科七島イの琉球畳でした。
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Q 琉球畳と昔の柔道畳とは同じなのですか? |
- 全国的に調査をする上で琉球畳と昔の柔道畳畳表でいうと使っているゴザの材料がカヤツリグサ科七島イという草になります。非常に丈夫な琉球畳の生産地は現在、生産を止めてしまった静岡浜名湖周辺や鹿児島県、沖縄や当時、生産量日本一の大分県です。東京オリンピックなど伝統柔道畳表は大分県のものが利用されていたことがわかりました。一番品質が良く丈夫だった大分県産が柔道を支えていたことも事実です。ですが、現在は日本で11件(大分県10件・徳島県1件)の農家さんだけになりました。現在、日本で販売される琉球畳表の90%は中国産原料又は中国産のものになっており主なもな生産は海外へ渡っています。嘉納治五郎師範が力を注いで研究していた日本の伝統柔道畳ですが非常に残念です。昨年はアメリカにはじめて柔道が渡ったとされるアメリカサンフランシスコへも行って来ました。
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Q 貴重な伝統的な柔道畳表の生産する人がすくなくなっているというのはどこか支援されているのですか? |
- 現状では日本国や大分県で支援する動きはでていないようです。家内産業の農家さん本位で維持していくようになっています。この点で私達は支援していくつもりですが、多くの方のご理解とご支援が必要になっています。
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Q 琉球畳とはなんですか? |
- 現在、日本で流行している半畳を互いに敷いている縁なしの畳をイメージされる方が多いと思います。伝統柔道畳に使われているのと同じにカヤツリグサ科七島イという琉球イで織った畳表を使っていることが必要です。そのことから琉球イ(カヤツリグサ科七島イ)という草を織ったものであれば半畳であろうが1畳であろうが、縁があっても無くても琉球イ(リュウキュウイグサ)を張った畳のことを琉球畳いいます。また、琉球と聞くと沖縄のイメージが強いですが、源流は薩摩藩が管理した薩南諸島トカラ列島です。琉球地方の玄関口とも言われ日本となった首里王朝(沖縄)も豪族以上に畳が広がっていきました。実際に沖縄の生産者のみなさんも琉球イ(リュウキュウイグサ)を使ったものだけを琉球畳と言いますし、大分県、静岡県で資料が見つかりました。現在の沖縄では琉球イは栽培さておらず、栽培されているものは沖縄畳表(ビーグ)となりいぐさという草の仲間となり、これは琉球畳ではありませんが私どもで沖縄畳と命名させていただき、その名前が広がりつつあります。伝統的な琉球畳の芯材は藁を使った藁床も歴史的、伝統としては重要な意味があります。流行や経済面と伝統、歴史ということは別けていかないと古いものはいらないというように喪失してしまい、無くなってからは復活、再生、復元することは非常に難しいことを知って欲しいと思っております。
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どちらも琉球畳
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Q 復元といっていますが、以前も復元されてたことがありますか? |
- お答えはいいえということになります。単なる技術的なものであれば現段階では復元可能ですが、素材が何でもいいということでは復元になりません。嘉納治五郎師範が研究していた伝統柔道畳は柔道を学ぶ弟子や極意を極める為に不可欠という思いも伺わせる資料があり、携わる多くの人達によって作られ研究された伝統柔道畳は復元する価値があると考えております。素材を含めて復元となると畳表の生産し昔を知っている農家さんが平均年齢80歳代で日本全国11件というのもあり復元は厳しい状態でした。糸に関しても50年前に絶えてしまい知っている人も80歳代ということで復元できるのは今回、最初で最後になるのでしょう。畳の手床技術(手作りによる技法)も知っている人は70〜80歳代が主になります。状況は同じですので今、形に残しておけば素材を復元するのは不可能としても、その時代に技術的なことは復元可能だと考えています。そのことで多くの思いや繋がりを再認識することは、とても、意義のあることだと思います。
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Q 復元した柔道畳はどうするのですか? |
- 北京オリンピック 日本柔道応援ということでもはじめていますが、復元が目的でですので、ほしいと思っていただける適切なところにいくことが良いと思っております。確定はしていませんが、ヨーロッパの知り合いの柔道家は是非、ほしいといっています。ロシアのプーチン大統領柔道愛好家ということでロシア大使館に話してみてはという方もいました。できれば日本の柔道関係者の大切に保管してしていただけるところへいければと思います。応募お待ちしております。メールまで。 先着順ではありませんのでご了承下さい。
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