昔の栄昌寺門

明治15年(1882年) 栄昌寺に12畳の柔道場(講道館)を嘉納治五郎師範によって設立される。初年の門弟は9人であった。当時、2000坪の広大な敷地があったが、関東大震災、第2次世界大戦により2回焼失し縮小され姿三四郎が飛び込んだという池は本寺東門前にあったというが、今は清洲橋通りが走っている。


現代 栄昌寺
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