三船 久蔵(みふね きゅうぞう) 嘉納治五郎とは?

身長160cm、体重40sと柔道家にしては小柄でしたが、重量別制度のなかった時代、小よく大を制し得たのは、合理的な考えに基づき、あたかも物理学の実験でも重ねるように、「技」を徹底的に研究したからだと考えられています。体格にハンディがあり、相手を倒すのは「技」以外にないとさらに技の世界を研究を重ねて行きました。そこには、伝統柔道畳の特質を知り尽くしていくことはいうまでもありませんでした。

・明治16年岩手県久慈町(現・久慈市)に生まれる。
・久慈尋常高等小学校卒業後、郡役所に勤めるも数日で退職。一関中学から仙台二中(現・宮城県仙台第二高等学校)に進み柔道に出会う。仙台二中では柔道部を造った。
・1903年(明治36年)上京し講道館に入門。1904年(明治37年)早稲田大学予科入学。翌年慶應義塾大学理財科入学。
球車、大車、踵(きびす)返し、三角固め等多数の新技を発明し、その真髄といえるのが隅落(別名空気投げ)であります。講道館では嘉納治五郎に師事し稽古に励みました。講道館指南役、東京帝大・早大・明大等多数の大学、警視庁の柔道師範として柔道の普及、後進の育成にも多大な功績を残しました。「理論の嘉納、実践の三船」といわれるほど、柔道創始者である嘉納治五郎の理論を実践し「柔道の神様」とあがめられたほどです。
1964年(昭和39年)東京オリンピックでは柔道競技運営委員を務め、国際的競技としての「柔道の完成」を見守った翌1965年(昭和40年)1月27日、82歳で永眠。同日、勲二等瑞宝章を授与され、正四位に叙されます。


三船十段記念館より

 自然な日本の伝統柔道の畳の縦目の滑りと横目止まり、畳表の点で縫われた凹みから繰り出す技を知り尽くした三船 久蔵先生の技と柔道の精神があります。自然素材を使った日本伝統技法を使った伝統柔道畳からビニールマットになり世界柔道へ発展して行きました。誰でも知られるJUDOになりその功績は賞賛に値するといわれております。
三船 久蔵先生の技はビニールの柔道マットでは実現できにくいものも多く、日本伝統の自然素材を藁やいぐさ(カヤツリグサ科七島イ・おお麻糸)使った華道、茶道に使われる畳から柔道創設時代に嘉納治五郎師範と講道館専属の畳職人内野氏によって伝統柔道畳は研究に次ぐ研究を行い開発されて行きました。日本の畳はスポーツとしてのみならず柔道の精神として大切にして欲しいと心から願い、この度、素材の栽培から多くの人の「絆」によって伝統柔道畳を復元しています。You Tubeには三船 久蔵先生の「柔道の神様」とまであがめられた真実の一端が映像でみれました。
   柔道の祖 嘉納治五郎とは?
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三船十段記念館








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