検証 柔道 鍵を握る畳  1964年 昭和39年 東京オリンピック 自然柔道畳 応援メッセージお願いします。
東京オリンピック 柔道競技場となった日本武道館に設置された柔道畳を復元しています。従来のビニール素材ではなく伝統を重んじた最後の自然素材の柔道畳。

この畳は、当時の映像、写真による検証と直接、畳を納めていた関係者に話を聞くなどをして復元しました。
内野職人の伝承者も職人を引退してしまい他の職人によって作られた柔道畳でしたが、嘉納治五郎師範と日本柔道関係者悲願のオリンピックと日本が沸いた大会でした。最初で最期の幻の自然柔道畳のオリンピックとなりました。







日本武道館
時代背景:日本初であると同時に、アジア初のオリンピックに国民が沸いた。戦前も夏季オリンピックの招致に成功したほどの国力を誇った日本であるが、第二次世界大戦敗戦後の荒廃から立ち直り復興を遂げた後、取り組む国家的イベントでした。国家予算として国立競技場をはじめとした施設整備に約164億円、大会運営費94億円、選手強化費用23億円を計上した国家プロジェクトとなった。

柔道背景:柔道創設者 嘉納治五郎氏は1909年には日本人初の国際オリンピック委員会委員就任し日本へのオリンピック招致運動など行う。昭和11年平和の祭典東京オリンピック招致に成功を遂げるが戦争の為オリンピックは返還されている。昭和13年(1938年)のIOC会議からの帰国途上5月4日(横浜到着の2日前)、氷川丸の船内で肺炎により死去するが最期までオリンピックへの情熱は強かった。そのオリンピックが1964年昭和39年東京オリンピックが開催され柔道オリンピックも注目された。


柔道畳: 近代日本柔道の畳は機械化は進むものの自然素材は健在であった。伝統柔道畳を復元にあたって東京オリンピック 柔道競技場となった日本武道館に畳を納めた業者が見つかり今回自然柔道畳復元に至った。この当時はビニール素材の柔道畳マットが復旧していたが、伝統を重んじ自然素材の柔道畳が採用されている。柔道代表選手を気遣い随所にこだわりの素材、技法が取れいれられていた。
礼儀と思い:日本古来の精神を高めることを美徳とし、多くが畳の上で行われていた華道・茶道とそして柔道武道である。礼で始まり礼で終わり相手に対して礼を尽くす日本人の相手への思いやりが伺える。そして、この時代の畳には農産物を育て職人自ら手作業で作り使う人への思いやりや考えが込められていた。
柔道畳(内野式)との違い:この時代は嘉納治五郎師範と内野職人さんが共に研究されて開発された柔道畳は、内野職人さんの伝承者も畳職人を辞めてしまい張替えも行われていることから残されていないという時代でした。そのことで東京オリンピックの柔道畳は他の職人によって作られましたが、多くの柔道家、手がけた畳職人のみならず日本国として勝利を願い、日本が沸いた時代でした。
検証 柔道 鍵を握る畳  1、東京オリンピック 日本武道館 柔道会場に納められた自然柔道畳を復元し、
    時代背景や精神性に伴う動向を知る。
  2、伝統柔道畳の特性による足技・寝技など柔道の技を検証する。
長野県 伝統畳糸作り おおあさ(ヘンプ) 長野県 伝統畳糸作り おおあさ(ヘンプ) 長野県 伝統畳糸作り おおあさ(ヘンプ)
神社・仏閣・天皇座に使われる神聖なおお麻とされていた畳麻糸生産量日本一とする長野県で50年ぶりに復元しています。麻煮に使う釜や撚り機の歯車など様々なものを一つ一つ復元し、一からの作業を行っています。2008年1月には雪曝し作業により最終段階を迎えています。2月までに完成予定。オーガニック麻糸です。 2004年〜2007年まで期間自分達で栽培し収穫された稲藁を倉庫で寝かせています。お米は酒米、もち米、古代米などを農薬を散布せずに栽培に取り組んでいます。3月に伝統柔道畳の芯材となる畳床を手床作り(手縫い・完全手作業)に入ります。 現在までの収穫は2005年7畳分、2006年全滅、2007年6畳分と現在13畳分の畳表材料を確保しました。通常、70畳分収穫される田ですが、農薬、除草剤を散布しない栽培は非常に困難になりましたが、世界の環境保護に通用する伝統柔道畳復元に向けて進行中です。天日干しや手織りなど当時の柔道伝統畳を復元しています。

1882年 明治15年 嘉納治五郎 伝統柔道畳
嘉納治五郎 力を注ぐ進化した 伝統柔道畳
1964年 昭和39年 東京オリンピック 自然柔道畳

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