検証 柔道 鍵を握る畳  1882年 明治15年 嘉納治五郎 伝統柔道畳  応援メッセージお願いします。
 伝統柔道畳復元プロジェクトでは明治15年永昌寺の敷地に建てられた柔道創設時代の柔道場に敷かれてた畳を復元しています。嘉納治五郎氏の設立当初の思いが詰まった柔道始まりの畳を筆頭に鍵を握る3つの畳を復元しています。元祖柔道畳の素材はすべてがオーガニック、100%自然素材であり土に還えされました。すべてが手縫い、手織り、手作りで作られ、思いは親から子へ伝えられていました。今、忘れ去られた畳を素材の栽培から一つ一つ復元しています。

永昌寺門(写真)

東京都台東区東上野5丁目1番2号
時代背景:武士、侍が政治を納めた江戸時代が終わり大政奉還を受けて、翌年の1868年に年号を明治と改め明治天皇が即位。新政府は天皇を中心とした新しい国家体制を築くことを目指し、新たに江戸を東京と改め、天皇が東京に行幸してここを日本の新しい政治の中心にすえた時代。

柔道のはじまり:明治維新以降柔術練習者が減少していた中、明治15年1882年に嘉納治五郎が、投技のほかに当身技、関節技、絞め技を中心とする天神真楊流柔術、当身技(中と書く)のほかに投げ技を中心とする起倒流柔術の技を基礎に、起倒流の稽古体験から「崩し」の原理をより深く研究して整理体系化し、修身法、練体法、勝負法としての修行面に加えて人間教育の手段であるとして柔道と嘉納治五郎氏が名付けた。
明治15年(1882年)下谷北稲荷町16(現台東区東上野5丁目) 永昌寺に12畳の柔道場(講道館)を嘉納治五郎師範によって設立される。柔道の始まりであり初年の門弟は9人であった。柔道は「精力善用」「自他共栄」を基本理念とし、「柔能く剛を制し、剛能く柔を断つ」を真髄とする。単なる勝利至上主義ではなく、精神鍛錬を目的としている。

永昌寺:当時、2000坪の広大な敷地があったが、関東大震災、第2次世界大戦により2回焼失し縮小され姿三四郎が飛び込んだという池は本寺東門前にあったというが、今は清洲橋通りが走っている。
礼儀と思い:日本古来の精神を高めることを美徳とし、多くが畳の上で行われていた華道・茶道とそして柔道武道である。礼で始まり礼で終わり相手に対して礼を尽くす日本人の相手への思いやりが伺える。そして、この時代の畳には農産物を育て職人自ら手作業で作られ、使う人への思いやりや考えが込められていた。
検証 柔道 鍵を握る畳  1、明治15年当時の柔道畳を復元し、時代背景や精神性に伴う動向を知る。
  2、伝統柔道畳の特性による足技・寝技など柔道の技を検証する。
長野県 伝統畳糸作り おおあさ(ヘンプ) 長野県 伝統畳糸作り おおあさ(ヘンプ) 長野県 伝統畳糸作り おおあさ(ヘンプ)
神社・仏閣・天皇座に使われる神聖なおお麻とされていた畳麻糸生産量日本一とする長野県で50年ぶりに復元しています。麻煮に使う釜や撚り機の歯車など様々なものを一つ一つ復元し、一からの作業を行っています。2008年1月には雪曝し作業により最終段階を迎えています。2月までに完成予定。オーガニック麻糸です。 2004年〜2007年まで期間自分達で栽培し収穫された稲藁を倉庫で寝かせています。お米は酒米、もち米、古代米などを農薬を散布せずに栽培に取り組んでいます。3月に伝統柔道畳の芯材となる畳床を手床作り(手縫い・完全手作業)に入ります。 現在までの収穫は2005年7畳分、2006年全滅、2007年6畳分と現在13畳分の畳表材料を確保しました。通常、70畳分収穫される田ですが、農薬、除草剤を散布しない栽培は非常に困難になりましたが、世界の環境保護に通用する伝統柔道畳復元に向けて進行中です。天日干しや手織りなど当時の柔道伝統畳を復元しています。
1882年 明治15年 嘉納治五郎 伝統柔道畳
嘉納治五郎 力を注ぐ進化した 伝統柔道畳
1964年 昭和39年 東京オリンピック 自然柔道畳

戻る