検証 柔道 鍵を握る畳  嘉納治五郎 力を注ぐ進化した 伝統柔道畳 真の柔道畳 メッセージ
柔道創設時代より嘉納治五郎師範が内野畳職人(専門家)と共に研究に研究を重ねた手縫いの柔道畳を復元しています。嘉納師範が理想の柔道を最大限に引き出す為に作られた柔道畳ということがわかりました。
元祖柔道畳の素材はオーガニック、自然素材であり土に還えされました。すべてが手縫い、手織り、手作りで作られ、親から子へ思いは伝えられていました。今、忘れ去られた畳を素材の栽培から一つ一つ復元しています。
富士見町時代 嘉納治五郎師範

富士見町時代
若き頃の嘉納治五郎師範と嘉納塾生

時代背景:明治22年(1889年)大日本帝国憲法(だいにっぽんていこくけんぽう、大日本帝國憲法)が施行された。近代立憲主義に基づく日本の憲法である。1894年(明治27年)7月から1895年(明治28年)4月にかけて日露戦争が行われ、当時の国力では財力、軍艦、装備、兵数すべてにおいて露の方が優位であったが日本は大国に勝利し国民は沸いていた。

柔道背景:柔道の技の技術面の完成に関して嘉納治五郎氏は「今日の技術的方面の基礎は明治20年頃におかれた」(資料G)と述べている。この時代は富士見町時代と呼ばれ,警視庁武術大会で当時最強を誇っていた戸塚派楊心流に圧勝して柔道の実力が世に認められたのもこの頃であった。 精神面に関して,明治20年頃から30年代にかけては,柔道の理論は柔の理で総括されている。


進化した柔道: 伝統柔道畳の復元にあたって講道館富士見町時代明治20年頃から柔道畳について述べている資料が見つかりました。柔道創設者であります「嘉納先生はいろいろ柔道の畳に力を注がれた結果、現在の見事な畳に発展したので、研究に研究を重ねて今の柔道畳が出来上がったわけです」というように嘉納治五郎師範は畳職人(専門家)と共に畳をかなりの研究していたということがわかりました。当時の完成形である伝統柔道畳を素材、技術共に復元しています。現在のビニール・ウレタン畳ではなく嘉納治五郎師範が研究していた畳は職人の手による自然との調和した畳でした。
礼儀と思い:日本古来の精神を高めることを美徳とし、多くが畳の上で行われていた華道・茶道とそして柔道武道である。礼で始まり礼で終わり相手に対して礼を尽くす日本人の相手への思いやりが伺える。そして、この時代の畳には農産物を育て職人自ら手作業で作り使う人への思いやりや考えが込められていた。
検証 柔道 鍵を握る畳  1、明治20年頃から研究が進んだ柔道畳を復元し、時代背景や精神性に伴う
    動向を知る。
  2、伝統柔道畳の特性による足技・寝技など柔道の技を検証する。
柔道畳の背景 柔道がビニールタタミに変わる以前の時代に、一般的な柔道畳は内野職人さんにいた修行浅いお弟子さんが引き抜かれ、柔道畳を熟知しないこの方が全国へ広げていったことがわかりました。柔道畳を熟知しないお弟子さんが伝えた柔道畳は次第に硬く、重くなって行き、製法にも矛盾が生じることにより各地の製法も変化していきました。本質でない柔道畳により各地柔道場での怪我や問題が発生していきました。そのことにより柔道畳がビニールタタミ並行する要因の一つになりました。
長野県 伝統畳糸作り おおあさ(ヘンプ) 長野県 伝統畳糸作り おおあさ(ヘンプ) 長野県 伝統畳糸作り おおあさ(ヘンプ)
神社・仏閣・天皇座に使われる神聖なおお麻とされていた畳麻糸生産量日本一とする長野県で50年ぶりに復元しています。麻煮に使う釜や撚り機の歯車など様々なものを一つ一つ復元し、一からの作業を行っています。2008年1月には雪曝し作業により最終段階を迎えています。2月までに完成予定。オーガニック麻糸です。 2004年〜2007年まで期間自分達で栽培し収穫された稲藁を倉庫で寝かせています。お米は酒米、もち米、古代米などを農薬を散布せずに栽培に取り組んでいます。3月に伝統柔道畳の芯材となる畳床を手床作り(手縫い・完全手作業)に入ります。 現在までの収穫は2005年7畳分、2006年全滅、2007年6畳分と現在13畳分の畳表材料を確保しました。通常、70畳分収穫される田ですが、農薬、除草剤を散布しない栽培は非常に困難になりましたが、世界の環境保護に通用する伝統柔道畳復元に向けて進行中です。天日干しや手織りなど当時の柔道伝統畳を復元しています。
1882年 明治15年 嘉納治五郎 伝統柔道畳
嘉納治五郎 力を注ぐ進化した 伝統柔道畳
1964年 昭和39年 東京オリンピック 自然柔道畳

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